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キッス

キッス(KISS)は、1973年1月にアメリカで結成された、ハードロック/ヘヴィメタルバンド。特徴的な白塗りの化粧と奇抜な衣装により話題となった。彼らのファンは、キッスアーミー(KISSARMY)と呼ばれる。 キャッチフレーズは、「You Wanted The Best! You Gotta Best! The Hottest Band In The World, KISS!!(最高を求めていただろう! お前は手に入れた! それは世界一熱いバンド、キッスだ!!)」であり、1975年のライヴから現在にかけて、オープニングアナウンスとしても使用されている。レインボー - ウィキッド・レスター 1970年にニューヨークを拠点として、ジーン・シモンズとポール・スタンレーが中心となったレインボー(RAINBOW)というフォークロックバンドが誕生。しかし、2回目のライブを行った後に同名のバンドがいることを知った為、バンド名をウィキッド・レスター(WICKED LESTER)に改名。当初はこのバンドでメジャーデビューが考えられたが、メンバーが次々と脱退した上に契約先のエピック・レコードに契約拒否されてしまい、ウィキッド・レスター名義のライブも2回のみしか行われなかった。末期頃にはドラマーとしてピーター・クリスが加入するが、バンド継続が困難となり、音楽性をストレートなロックへの路線変更を決意した(この頃から他のバンドとの差別化を図るためにメンバー全員で、顔全体に白塗りメイクをしていた)。 キッスへ改名 - メジャーデビュー ジーンとポールの2人は、バンドメンバー募集の為にオーディションを行い、リードギタリストとしてエース・フレーリーが加入し、1973年にバンド名をキッス(KISS)へ改名した。クリスが以前在籍していたバンド「リップス」からヒントを得たと言われている。最初は"Fuck"というバンド名を考えていたらしいが、さすがにそれは止めたようだ。1月30日に初ライブを行う。当初はただの白塗りだったメイクも、やがて現在の形に定着する。ジーンは、とあるサーカス団員から火吹きを教わり、ライヴのパフォーマンスとして取り入れた(同年の年末ライヴにて火吹きを失敗し、自らの髪を燃やしてしまい、新聞で「ベーシストは頭に火をつけて演奏」と取り上げられた)。また、ピーターはTV出演でドラムセットを破壊、ポールはギターを破壊する強烈なパフォーマンスも披露した(ポールのパフォーマンスは現在も行われている)。メジャーデビュー契約先は当時無名の新社だったカサブランカに決定、意気込んでレコーディング作業が行われる。 そして1974年、アルバム『キッス・ファースト 地獄からの使者(Kiss)』でデビュー。強烈なインパクトを与えるメンバー写真のジャケットこそ注目を受けたが、当初の人気は奮わなかった。続くアルバム『地獄のさけび(Hotter Than Hell)』も、同様の結果だった。 大ブレイクと黄金期 自身のアルバムの売り上げに悩んだKISSであるが、ライヴでは徐々に力を付け始め、大型ツアーであるDRESSED TO KILL TOURを行う。1975年発売のアルバム『地獄への接吻(Dressed to Kill)』収録の「激しい愛を(C'mon And Love Me)」が、シングルカットされていないにも拘らずデトロイトのラジオ局で度々放送され、当地での人気が爆発する。当時、小さな田舎町をツアーで回っていたメンバーは、デトロイトでの人気を知るや、それ以降のツアーを全てキャンセル、当地での単独コンサートを行うことに決定。 そしてデトロイト・コボホールにおけるコンサートを収録したライヴアルバム『キッス・ライブ 地獄の狂獣(Alive!)』が、2枚組というハンディがありながら全米チャート9位に入るヒットを記録し、一躍人気バンドとなる。日本では、これまでのオリジナルアルバムを一斉発売し、主要マーケットの一つとなった。 翌年の1976年、決定版とも言えるアルバム『地獄の軍団(Destroyer)』発売。同アルバムからのシングルカット作品「デトロイト・ロック・シティ(Detroit Rock City)」、「ベス(Beth)」が大ヒットする。初の世界ツアーでもあるDESTROYER TOURは、前年のツアーをも凌駕する観客動員数を記録した。 同年、アルバム『地獄のロックファイアー(Rock And Roll Over)』発売。同アルバムからのシングルカット作品である「ハード・ラック・ウーマン(Hard Luck Woman)」がヒットする。かつて、ボブ・シーガーの前座を担当していたキッスが立場を逆転し、ボブ・シーガーがキッスの前座をするという現象まで発生した。 1977年に大阪厚生年金会館を皮切りに、SNAKE ATTACK TOURというタイトルで初来日を果たす。オープニング・アクトにはデビュー間もないBOW WOWが起用されている。初来日時のツアー・パンフレットには、演奏される曲目があらかじめ印刷されており、アンコールも含めて綿密に計画されたパッケージ・ショウであることが裏打ちされていた。4月2日の日本武道館公演ではNHKによる撮影が行われ、後に「ヤング・ミュージック・ショウ」で放映された。アルバム『ラブ・ガン(Love Gun)』、1977年のライヴとスタジオ新作を5曲収録した『アライブ2(Aliv II)』発売。『ラブ・ガン』は予約で100万枚を突破し、オリジナル作品歴代最大の売上を記録する。『アライブ2』のシングルカットは、フレーリーが歌う「ロケット・ライド」がヒット。この頃になるとキッスは全米を代表するバンドとなり、彼らの血液を赤インクに混ぜたものを使用したコミックまで発行された。 しかし、同時期からバンド方針の確執も起こっていた。バンドのフロントマンであり「デトロイト・ロック・シティ」といった代表曲を作り上げたポール・スタンレー、火吹きや吐血等の視覚効果で注目を浴びたジーン・シモンズ、「ベス」や「ハード・ラック・ウーマン」といった大ヒット曲を歌ったピーター・クリス(「ハード・ラック・ウーマン」はポールの曲ではあるが)、独特のギタープレイで人気を集めたエース・フレーリーの4人が、自分こそがバンドを成功へ導いたと主張し合っていたという。成功により大金を手にした彼らはしだいに怠慢になってしまい、特にエースとピーターは高価な酒やドラッグに金を使うようになり後に結果として脱退という形となってしまった。 日本においては1970年代後半を代表するバンドとしてエアロスミス、クイーンと共に「ミュージック・ライフ」誌などで特集が組まれ大人気を獲得した。そしてエースの発案により、ソロアルバム製作のために暫くの活動休止を宣言する。 1978年に各メンバーのソロアルバムが同時発売。エースのソロアルバム収録の、ラス・バラードのカヴァー曲「ニューヨーク・グルーヴ(NEW YORK GROOVE)」がヒット。アルバム自体もエースのアルバムが最もヒットする。しかし、これはメンバーの確執を表していた。ポールは後に、「ここでソロアルバムを発表して落ち着かなければキッスは確実に解散していた」と回顧している。 (これは間違い。売り上げ順にジーン、エース、ポール、ピーター) リミックスを施した初のベストアルバムである、『ダブル・プラチナム(Double Platinum)』発売。NBCより映画「KISS MEETS THE PHANTOM OF THE PARK(地獄の復活)」が製作される。MEGO社より彼らのドールが発売。遊園地「KISS WORLD」の建設。最早ロックバンドというよりは、キャラクターと化していた。 そして1979年、2年ぶりのオリジナルアルバム『地獄からの脱出(Dynasty)』発売。ロックブームは下火となり、ディスコブームだった当時の流行を意識してデスモンド・チャイルドと共作となるシングルカット作品「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made For Lovin' You)」が世界中で大ヒットするも、DYNASTY TOURではチケットの売り上げが以前程のものではなかった。やがて、キッス黄金期は終焉を迎える。

 

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